対中戦略 「建艦費」削減の教訓

2006年4月23日 読売新聞朝刊掲載

 そろそろ新しい戦略論を考えねばならない時期が来たようである。冷戦時代咲き競った戦略論、とくに核を中心とする戦略論は、実証の機会も与えられず、また、冷戦の末期にスター・ウォーズ計画などが出て来て、結論が混迷したままである。

 9・11以降は、対テロ戦略論が盛んとなった。私は、敢(あ)えて、この議論からは遠ざかっていた。米国の研究所に赴く若い人に言ったのを覚えている。「いわゆる『新しい戦争』などにあまり時間を使うなよ。中国との軍事バランスを中心に勉強しろよ」と。

 その頃(ころ)から中国が最大の問題になるであろうという問題意識はあり、時々気にはなっていた。しかし、思い返してみると、問題は、それが1、2年の間隔を置いて意識に上るごとに、中国の力がその都度目を見張るほど増大しているということである。

 歴史上そういう時期は時々ある。清国は、アヘン戦争以来衰退を続けたのではない。帝国主義時代の世界の趨勢(すうせい)に目覚めて、態勢を立て直し、眠れる獅子と言われた時代もあった。とくに大建艦計画に乗り出し、定遠、鎮遠を擁する大海軍を建設した。日本がその脅威を感じたのは、1880年代前半の朝鮮半島での勢力争いで相次いで清国に敗れ、北洋艦隊の長崎訪問で清国の威勢の前に膝(ひざ)を屈したときであり、その危機感は、その当時の福沢諭吉の評論に如実に見ることができる。

 日本はそれに対抗して1890年ごろから急速に海軍を充実させた。日清戦争直前、李鴻章は「清国は88年の北洋海軍創設以降一艦も加えず、日本はサイ爾(さいじ)たる小邦なれども、猶能(なおよ)く経費を節約して、毎年巨艦を増加す」と警鐘を鳴らし、追加建艦の必要を指摘した。しかし、それは西太后の還暦の祝いの経費のため実現せず、黄海海戦の敗北、ひいては、大清帝国の衰退、大日本帝国の勃興(ぼっこう)をもたらすことになる。

 古典的な例としては1897年以来のドイツの建艦計画が10年ほど経過した頃、英国で盛んに論じられたドイツ脅威論があるが、これはそのまま大戦につながっている。近い例では、キューバ危機の屈辱以来遺恨十年一剣を磨いてきたソ連が、1970年代の二度の油価高騰の資金で大軍拡に乗り出し、大陸間弾道弾(ICBM)の基数、海軍のトン数などで米国に追いつき追い越す状況となった80年代初頭のソ連の脅威時代がある。

 デタントぼけでこれに注意を払わなかった米国は、ソ連のアフガン侵入で愕然(がくぜん)として、自らも抜本的に軍備を増強するとともに、西側同盟諸国に軍備強化を呼びかけ、各国もこれに応じた。とくに80年代の日本の増強はジム・アワー(元米国防総省日本部長)が「隠れた成功物語」と言ったほどであり、極東の軍事バランスを逆転させ、少なくともアジアにおける冷戦の勝利を決定づけた。

 ◆核戦略にも新時代の思考を 

 東アジアの情勢も、だんだんとこういう歴史的な先例に近づきつつあるように思う。

 日本にとって身近な脅威は東シナ海のバランスである。

 現在はバランスが保たれている。それは、中国はあたかも背後に大海軍があるがごとく傍若無人に振る舞っているが、実際の力は微弱であり、これに対し、海空軍戦力に圧倒的な優位を持つ日本が平和主義、専守防衛だからである。

 しかし彼我の力の差が狭まってくるとどうなるかわからない。日本の主張している線は両国の中間線であるが、中国は中国大陸から沖縄のそばまで延びている大陸棚の資源は中国のものだと言っている。

 尖閣諸島はその大陸棚の上に乗っている。これは日本が実効支配している日本領土であるから、大陸棚の上も中国大陸との中間線で良いわけである。しかし中国も領土権を主張し、無人島でもあるので、何時中国が実効支配を企図するかわからない。制空権制海権が中国側に移れば後は何でも出来る。

 制空権について言えば、日本は、高度に訓練されたF15を200機持っている。中国側でこれに対抗できる性能の機種は、スホイ27、30である。ほんの10年前には20、30機導入されたばかりであったのが、いまは200機になんなんとしている。ただその整備や、パイロットの錬度が低いのでまだとうてい自衛隊の敵ではない。しかし、数も性能も年ごとに向上するので、いずれは日本に追いついて来る。

 日本の軍事力は、先に述べたように80年代中心に営々として築いてきたものであるが、その後は中国の飛躍的増強に対してまだ対抗措置をとっていない。

 まさに、「以降一艦も加えず」と李鴻章が憂慮したような事態と言える。それどころではない。昨年は財務省の主張で航空機と艦船の削減まで決まったという。中国が軍備を増強すれば脅威は増大する。同じように日本側が削減しても脅威は増大する。自分の手で自分に対する脅威を増大させているのである。

 もうそろそろ、軍事費、特に東シナ海で必要な航空機、艦船、それから中国のミサイルに対するミサイル防衛費などは予算の聖域となるべきであろう。国際軍事バランスがそうさせている。

 もう一つの問題は核である。18年間2桁(けた)増という中国の軍拡はたしかに異常である。もしその資金を東シナ海の海空軍力増強中心に使っていたならば、日中バランスの逆転はおろか空母機動部隊も持てた額である。透明性が無いのでわからないが、その相当部分は核とミサイル開発に向けられている、というのが妥当な推理であろう。

 特に中国防衛費の急増が1997年から始まっていることは注目すべきである。96年の台湾海峡危機のとき、中国側は、アメリカの西海岸に核を撃ち込むと脅したが、それは明らかに、虚勢であった。それを現実の力としようとしていることは容易に想像し得る。

 核戦略についても新思考が必要である。中国だけでなく、ロシアも新しい移動式SS27の開発を発表し、今でも戦略核能力の維持におさおさ怠りない。印パの核は黙認、北朝鮮とイランの核は抑制困難と言うような新しい時代の核戦略、特に日本の核戦略については、ここでは紙数がないので、稿を改めて論じたい。

 ただ結論だけを先に言ってしまえば、それは日米同盟の強化につきる。

 つまり「日本に対する攻撃は米国に対する攻撃とみなす」というアーミテージ発言を実効的なものとするような日米関係を作り上げねばならない。

 そのためには、まさにアーミテージ報告の主張するように、集団的自衛権の行使を認めて、日米関係を米英関係に近いものにして、アメリカにとって、日米同盟は、その外交上あるいはその生存上、不可欠なものとさせる努力が必要である。