世代論 20代前半、期待の星

 ◇外交評論家 

 ◆戦前・戦後教育が交錯 

 世代論というのは往々礼を失することになる。人間は、一人ひとり、生まれも育ちも、個人の思想も異なる。それを十把ひとからげにして、世代別に分類するのだから失礼な話である。だから、この論文をお読みになる方は、世代論は一般論として、自分は自分、自分は別と思って読んでいただきたい。

 また、私は従来知的所有権は主張しない方針なので、どなたかがこれを叩(たた)き台にして、更に聞き取り調査をして、修正版を作られることに何の異存もない。現に草案の段階でも私のアイデアをひとに話すごとに私の知らない新しいことが分かって来た。

 たとえば、70年安保を境として偏向教育がだんだんと収まったと漠然と思っていたが、70年安保闘争を経験した若者の多くが、他の職が困難で、教職につき、それが実力を持った80年代に、当時新たに始まった自虐史観教育の影響もあり、小中学の教育がそれまでより左傾した現象もあったとも聞いた。

 平成19年、即(すなわ)ち2007年時点で大雑把に世代を分けてみると次のとおりとなる。

 まずは明治生まれの戦前世代であり、94歳以上である。20歳の時が、満州事変の翌年1932年であるので、軍国主義時代の前に教育が終わった人々である。明治生まれと言っても、昔の明治人の時代はもう終わっていて、大正デモクラシーにどっぷり浸(つ)かっていた、古き良き時代の人々である。

 また、開戦のときは30歳以上であり、戦争指導の中堅幹部だった世代である。その上の、戦争の大局を指導した高級幹部の世代はもう生きていない。

 次は、81歳から94歳までの大正生まれの世代である。日本の伝統教育、教養の中でしっかりと育った世代であるが、召集令状が来たのは大正15年生まれまでであるから、ちょうど兵隊の世代である。その軍隊体験は、軍の中のエリートであったかどうかで異なり、また、その意味で、年齢が下ほど、戦争末期の敗戦時に、下級軍人として苦労した辛(つら)い経験がその戦争感に影響してくる。

 次が、現在73歳から81歳までの昭和一桁(けた)生まれの世代である。少なくとも、小学校卒業、あるいは、高等学校までは、戦前教育を受けた世代である。

 上の世代に戦争の空白があり、多くの逸材が失われたので、この世代には今でも政財界、言論界などで活躍している人が多い。また、この世代の半ばから上は、大正、明治生まれの人と同様に、いわゆる旧制高校時代を懐かしむ人もいる世代である。ここまでが私が肌でわかる世代区分である。

 その後、15年間、57歳から72歳までを、物心付いた頃(ころ)以降戦後教育を受けた世代として、戦後教育第一世代としてくくってみた。それは学校教育だけに限らず、マルキシズム、反戦平和主義の戦後マスコミの影響を濃く受けた世代である。

 終わりを57歳で切ったのは、その直後の世代が大学に入った頃はもう大学紛争は終わって一応無風状態になったからである。

 つまり、大学時代を60年安保、70年安保闘争で過ごした全学連、全共闘世代と考えてくくったのであるが、60年安保と70年安保では違うという人もいる。また70年安保世代がちょうど戦後のベイビーブームによるいわゆる団塊の世代と重なるので、これを別に区分する考え方もあり得よう。

 その直後は、40歳前後から56歳までで、私は、戦前教育の第二世代と呼んでいる。大学に入った時は政治的に無風時代であり、一種の空白が生じた時代であるが、思想に空白と言うことはあり得ない。家庭や教師の影響はある。そして、この世代の特徴は両親の少なくとも片方は戦前教育を受けた最後の世代であるということである。その意味で、その直後の、親も子も戦後教育しか知らない世代と区別したのである。ただ、親の年には幅があるので、下限を40歳前後とした。

 この世代に、安倍総理を含む、今後の日本を背負う人々が多くいる。

 ちなみに、ドイツのメルケル首相は安倍総理と同い年、サルコジ大統領は、一歳下である。ヨーロッパでも、いわゆる六八年世代が、大学で、ベトナム反戦、反ド・ゴールに荒れ狂ったが、その終息後の新しい世代であり、より保守的、親米的である。

 その次は40歳前後から20代半ばまで、人口動態で言う団塊第二世代を含む世代であり、親も子も戦前教育から断絶した世代として、試みに戦後教育第二世代と呼ぶ。他方戦後の偏向教育もそろそろ衰退の過程にあった時代に育ち、学校により教室によりバラつきがあり、個人の差が大きい。

 生まれは1960年代後半から70年代であるが、70年生まれ以降は自虐史観絶頂期の1985~2000年の頃に中高教育を受けている。またその期間はまさにバブル絶頂の時代であり、全世代が、バブル時代の物質的享楽の経験がある。誰もが楽観的で、金があろうと無かろうと、週末ごとに家族旅行などを楽しんだ時代だという。

 親も子も戦前教育から断絶し、しかも物質的享楽を得た時代であり、学校でも、人格よりも能力が重んじられる風潮があったと聞く。まさにホリエモンの時代である。

 ただ、戦後教育第一世代は、戦後思想で固まっているが、この第二世代となると、話すと「ああ、そうか」と考え直す柔軟性があると言う。

 その中でも、さらに、1970年生まれを境として、大学卒業、就職時にバブル期だったか、日本が自信を失ったバブル崩壊後だったかの二つの世代に分かれる。

 その後は、20代前半以下である。左翼史観、自虐史観の全面的な衰退期に教育を受け、大学卒業時に経済回復期に巡り合った新しい世代である。日本という国の良さも論じられる時代になった。国家の品格といい、美しい国というのもその余裕の表れである。もはや高度成長やバブルで浮ついていない一方、日本という国家、民族について自信を回復した新しい世代と考えて、将来に期待したい。

 ただ、そのまた下20歳以下には、ゆとり教育で薄っぺらな教科書で育った世代があり、その知識、能力には問題があるという。ゆとり教育も戦後左翼思想の影響である。いつまで戦後が続くのであろうか、もうこれで終止符を打って欲しいと思う。

 以上全くの試論であるが、これをもう少し精緻(せいち)に仕上げれば、政治動向分析にも使えるかもしれない。

 一例として、今の世論調査分析は10年ごとに区切っていて、世代論による区分ではないが、それでも、戦前教育第二世代頃の年代の投票傾向は、その前と後の世代より保守的であったことを示す調査結果もあるらしい。