安倍総理は所信をまげず進め

by on 2007年8月 1日

 

 ■新旧自民党の戦いが底流にあった

<<自ら判断してブレない>>

 自民党の大敗で今後の日本政治はどうなるのかと心配になったが、安倍総理が続投の意思を明らかにされたので、とりあえず安堵(あんど)した。

 安倍晋三という人は不思議な人である。ものすごく大事なことを-むしろ大事なことに限って-誰にも相談せずに自ら決断してブレない。

 若いころからの拉致事件がそうである。言えば右翼反動といわれた時代から信念をまげなかった。最近の慰安婦問題では「20世紀は人権が侵害された時代であり、日本もそれに無関係ではない」という、世界中の識者の20世紀観の琴線に触れるような発言を一貫して守っている。

 今回も、私の知る限り、誰に相談したのでもないのであろう。それが正しいと自分で判断して、如何に雑音、批判があろうとも、そこからブレそうもないのである。

 そもそも今度の選挙は何だったのであろうと思う。専門外の私が、従来感じてきたことは、冷戦が終わってからの日本の選挙は政策論争、イデオロギー上の選挙でなく、一種のイメージ選挙であり、そのイメージは「風」により振り子のように揺れるということである。

 そうでなければ、この前の衆院選挙の自民党圧勝などは説明がつかない。また、振り子ということならば、その圧勝の後である今度の選挙は負ける番だということになる。

<<古い自民党的体質の人々>>

 今度の選挙までに至る安倍政権の業績について政策面で考えると、まず私の専門分野である外交安保については、いかなる失点もないし、また、現に選挙戦中これが問題にされたことはない。

 就任直後の訪中、訪韓、その後の温家宝中国首相の来日と首脳会談、そして日米首脳会談、G8サミットにおける環境問題など、野党も新聞も一言の文句も付けようのない成功であった。

 内政の問題は、年金だと言うが、これは過去の歴代政府の行政と労組の共同責任である。ただ、増税と老人負担の増加は小泉内閣の遺産であり、現政権としては踏襲せざるを得ないことであった。それは安倍政権の責任でなくとも、国民の不満の対象となるものであり、イメージの振り子が揺れもどる状況の中で、選挙にかなり大きな影響を与えたらしい。

 ただ、私の直感では、別の理由もあったように思う。少し前に帯野久美子氏がいみじくも新聞紙上で書いておられたが、これは新しい自民党と古い自民党(小沢氏を指す)の間の争いだったのではないか、ということである。

 今までの自民党が「そこまで行くのはやり過ぎだ」というような漠然たる理由で、単純に先延ばしを重ねてきた防衛庁の省昇格とか、教育基本法改正、国民投票法などを次々に解決していったことは、古い自民党的体質を持つ人々に違和感を与えたことは間違いない。と言って、正しいことをしているので表だって反論もできない。その不満の鬱積(うっせき)もあったのであろう。

<<ここで引いてはいけない>>

 安倍総理があえて避けなかった大新聞との対決などということは、佐藤総理が、引退が決まってから積年の憤懣(ふんまん)をぶちまけた以外に誰もしなかったことである。

 安倍政権は「政治というものはこういうものなのだ」という、古い自民党の体質を打ち破ったものであり、「なあなあ」を以(も)って尊しとする古い人々の間に、それに対する陰湿な反感を生んだことは想像に難くない。

 この分析が正しいとすれば、ここで引いてはいけない。旧自民党の体質-それは旧社会党の体質でもある-に戻って安住したい人がたくさんいる。ここで引けば、そういう人々は勢いを盛り返してくる。逆にここで頑張ればそういう人たちはいずれ過去の人となっていく。

 政局が困難であろう事は予想に難くないが、初心を貫けばよい。今度選出された民主党の人々の中にも、旧自民党、旧社会党の体質に反発している人も多いと思う。

 あるいは今回の選挙は世代交代のチャンスかもしれない。それならば禍(わざわい)を転じて福と為(な)せる。安倍総理は所信をまげず、党派を超えて、新しい日本を担う人々の希望の星となればよいのである。

 そもそも、外交安保については選挙中にも何の批判もなかった。憲法も幸か不幸か選挙の争点にならなかった。集団的自衛権の行使など日米同盟を盤石にし、今後何十年にもわたって国民の安全を確保する懸案に正面から立ち向かって、所期の目的を追求していただきたい。

 (おかざき ひさひこ)