研究所の沿革

岡崎研究所は平成14年(2002年)岡崎久彦大使が設立した研究所です。

岡崎大使  岡崎 久彦

設立者の岡崎大使は東京大学法学部在学中に外交官試験に合格し、東京大学を中退、外務省に入省しました。その後、ケンブリッジ大学に留学、経済学部で学士号、修士号を取得しました。

外務本省では情報調査局長を務めたあと、駐サウジアラビア大使、駐タイ大使を務められました。大使として任国の要路との関係をよく培われ、外交官として立派な業績を挙げられました。

岡崎大使は外交官であると同時に、大変優れた外交史家でしたし、著述家でもありました。いろいろな分野での著作がありますが、外交史、国際情勢判断についての主要著作としては、次のようなものがあります。

隣の国で考えたこと(ペンネーム:長坂覚)(日本経済新聞社 1977年)日本エッセイストクラブ賞受賞

戦略的思考とは何か (中央公論社 1983年)サントリー学芸賞受賞

陸奥宗光(上・下) (PHP研究所 1987年)

陸奥宗光とその時代 (PHP研究所 1999年)

小村寿太郎とその時代(PHP研究所 1998年)

幣原喜重郎とその時代(PHP研究所 2000年)

東郷・重光とその時代(PHP研究所 2001年)

吉田茂とその時代  (PHP研究所 2002年)

この「外交官とその時代」シリーズは出版文化産業振興財団から野田牧人氏の翻訳により、2018年-2019年、英語に翻訳され、英語版が出版されています。

岡崎大使は次の翻訳本も出されています。

ハミルトン・フィッシュ著:日米開戦の悲劇―誰が第2次大戦を招いたのか(PHP研究所 1992年)

ヘンリー・キッシンジャー著:外交(上下巻)(日本経済新聞社 1996年)

また産経新聞の正論の寄稿者であり、1995年第11回正論大賞を受賞されています。

岡崎大使は2014年10月26日病気でなくなられるまで、岡崎研究所の理事長、所長を務められました。

岡崎大使は入院中見舞いに行った茂田宏(現理事長)に対しまだ大丈夫だと思うが、万が一の場合、太田大使とともに研究所を引き続きやってほしいとの意向を示されました。

岡崎大使逝去後、2014年11月10日に研究所の理事会を開き、理事長に太田博理事を選び、茂田宏が副理事長になり、岡崎研究所を継続することにしました。

太田理事長も外交官で、岡崎大使と一緒に情報分析の仕事をした経験があり、また岡崎大使と同じく駐サウジアラビア大使、駐タイ大使を務められました。岡崎研究所の理事長として適任でした。岡崎大使が亡くなった中で、岡崎研究所の過渡期を上手く乗り切ってくれたと思います。

太田理事長の経歴は次の通りです。

太田大使  太田 博

1959年外交官試験に合格し、1960年外務省に入省しました。

在外研修は米国アンティオーク大学、フレッチャースクール大学院に1年ずつで、修士号を獲得しました。

外務本省では経済局、経済協力局などに勤務したのち科学技術担当審議官を務め、在外では、駐韓国特命全権公使、駐サウジアラビア大使、駐タイ大使を務めました。

退職後は三菱重工顧問、近畿大学教授などを務めました。

2017年6月、太田大使より後進に道を譲るということで理事長を辞任したいとの申し出があり、2017年6月26日に開催された理事会で理事長に茂田宏が就任しました。

茂田大使  茂田 宏

1964年東京大学在学中に外交官試験に合格、東京大学を中退し、外務省に入省しました。

在外研修としてハーバード大学に2年、モスクワ大学に1年留学した後、在外と東京において勤務しました。

東京では、外務省国際情報局長、総理府PKO事務局長、外務省テロ担当大使、在外では在韓国特命全権公使、イスラエル大使を務めました。

退官後は、東京大学、拓殖大学、同志社女子大学で客員教授を勤めるほか、三井住友海上顧問、日本財団特別顧問、北方領土対策協会理事などを務めました。

かねてより都庁に特定NPO法人から認定NPO法人になることを申請をしていましたが、2017年9月7日、都庁より認定NPO法人として認定されました。これは岡崎研究所が適切に運営されていることが都庁から認められたことであり、その結果、岡崎研究所への寄付金は免税になることになりました。

これが簡単な岡崎研究所の沿革です。

岡崎研究所設立年月日:平成14年10月9日登記
認定特定非営利活動法人取得:平成30年9月7日認定